『陽気』信仰随想 2009年度 生き方

小さき命

我が家に新しい命を授かりました。孫の勇人(ゆうと)です。
命名を頼まれた主人は「勇んでお道を通る人」という自分のモットーを、そのまま名前にして贈りました。周りがどんなに騒がしくても平然と眠っているのは、やっぱり二男坊だからでしょうか。

一方、兄の成一は1歳8ヶ月。母胎内で肺の周りに水が溜まるという大きな身上が判明し、命も危ぶまれました。か細い産声でこの世に生まれ、その後4ヶ月余りも病院生活を送りましたが、お陰さまですっかり元気になり、今では誰に教わったでもないのに、泣いている勇人を「よしよし」とあやしたり、自分の飲んでいる哺乳瓶を口に持っていって飲ませようとしたり、頼もしいお兄ちゃんぶりを発揮しています。

思えば成一の身上は、家族の心を一つにしてくれた有難い節でした。小さきいのちは誰もみな、親神様からの大きな使命を頂いてこの世に生まれてきているのだとつくづく思いました。無い命をたすけていただいた喜びと、続いては何事も無く新しい命を授けていただいたご守護に、息子達夫婦も勇んで御用に努めてくれています。

さて、教会の信者さんがこんな話をしてくださいました。「天理教では『をびや許し』をいただきにおぢばに帰りますが、あれは生まれてくる赤ちゃんにとって、初めて教祖にお目にかかる初参りになりますね。」なるほど!もとより『をびや許し』は、み教え通り親神様にもたれてお産に臨むなら、常のことは言わず、誰でも安産させてやろうと、元のぢばからお出し下さる安産の許しです。それと共に、お母さんのお腹で一緒に参拝する胎児も、ご存命の教祖にご挨拶をさせていただく改まった機会なのだととらえた信者さんの信仰姿勢に学ぶものがありました。「おぢばに帰らせていただくと、教祖が印を付けて下さるんだよ」。小さい頃、両親が楽しそうに話してくれたおかげで、おぢばが大好きになりました。その言葉を受け継いで、我が子たちにも何度語ったことでしょうか。やがて、孫たちには子どもたちがきっと・・・。

いつも子どもの帰りをお待ちくださる教祖。おぢばはみんなのふるさとです。日差しが眩しくなってきました。そろそろこどもおぢばがえりの季節です。


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