真柱様ってどういう立場?と聞かれたら、どう答えますか?
天理教のトップ?
それも間違いではありません。でも、真柱様の場合は、会社の社長などの様な「組織の長」というだけでは説明が十分ではありません。
そこで、ここでは、最近の災害や新型コロナウイルスの感染拡大など世の中で起きていることと、天理教内で起きたことの関連から、真柱様とはどういうお立場なのかについて説明してみたいと思います。
※なお、私(濃飛分教会長 吉福成人)自身の悟りも含まれていますので、間違いなどがあれば指摘していただければありがたいです。
世の中出来事と天理教の関係性とは?
東日本大震災以来、毎年のように地震や水害などが起きています。天理教の災害救援ひのきしん隊も毎年のように出動しています。
一方、天理教内に目を転じると、以下のような出来事が起きています。
2017年7月26日 神殿の結界内侵入者に、かんろだいが倒される
2018年6月 真柱様が御身上(病気)になられる
2020年 かんろだいが傾く
※「2020年のかんろだいが傾く」というのはご存知でない方が多いかもしれませんが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で多くの方の参拝が制限されていた時期、かんろだいが自然に傾きました。原因はよく知りませんが、おそらく、かんろだいの木の一部が膨らんだり、縮んだりして傾いたのだと思います。
私は、毎年のように起きている災害と、天理教内で起きている事件とは無関係ではないと考えています。
その理由と解決方法を順に説明して行きたいと思います。
「真柱」って何?
さて、教内で起きた様々な出来事の中から、かんろだいと真柱様に関することを挙げたのには理由があります。
それは、「かんろだい」と「真柱」には、教理的に共通する何かがあると考えられるからです。
それは、おふでさき三号をひもといてみると明らかです。
まず、このおふでさき三号が執筆された頃の時代背景を簡単に説明します。
おふでさき三号は、明治7年に執筆されました。
この前年、かんろだいの模型は作られていましたが、それを据えるべき「ぢば」の場所は未だ定められていませんでした。
また、この頃、親神様は、中山家の後継者にしてお道(天理教)の「しんばしら」となる梶本真之亮様を中山家のお屋敷に定住させたいと思っておられましたが、まだそれも実現できてはいない状況でした。
明治6年 ひな型かんろだい作成
明治7年 かぐら面完成 初めてかぐらづとめをつとめる
初代真柱様を梶本家から迎えるように急きこまれる
明治8年 ぢば定め
以上を踏まえて、おふでさき三号の「真柱」「かんろ台」に関する部分を抜粋してご紹介します。
これからハ水にたとゑてはなしする すむとにごりでさとりとるなり 三号7
(これからは水に例えて話をする。水が澄んでいるとは人々の心に埃がなく綺麗なことであり、濁っているとは人々の心に埃が積もっていることであるから、そのことから悟るようにしなさい)
しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい 三号8
(親神が心から急き込んでいるのは、「しんのはしら」を早く定めたいということである)
このはしらはやくいれよとをもへども にごりの水でところわからん 三号9
(このはしらを早く入れたいと思っているが、皆の心が濁っているので、入れることができない)
この水をはやくすまするもよふだて すいのとすなにかけてすませよ 三号10
(そこで、皆の心を澄ます段取りをして、「すいのう」と「砂」にかけて澄ましてくれ。)
※「すいのう」も「砂」も濁った水を濾過するための道具。砂の入った器に濁った水を入れ、下の方から出てくる口のところに布袋をあてる。この布袋のことを「すいのう」と言う。
このすいのどこにあるやとをもうなよ むねとくちとがすなとすいのや 三号11
(心を澄ますすいのうは何処にあるかと思うかもしれないが、胸と口がそれである。つまり、胸で神様の思いを悟り、そして、お互いに諭し合うことによって、心を澄ますのである。)
このはなしすみやかさとりついたなら そのまゝいれるしんのはしらを 三号12
(そうして、親神の心を人々が悟ったなら、すぐにでも「しんのはしら」を入れるだろう)
はしらさいしいかりいれた事ならば このよたしかにをさまりがつく 三号13
(しんのはしらを入れたならば、この世が確かに治りがつくのだ)
このたびハうちをふさめるしんばしら はやくいれたい水をすまして 三号56
(この度は、周囲の人々の心を澄まして、「うち」を治める真柱を早く入れたいのだ)
※おふでさきでは、「うち」と「世界」が対比されて語られている。「うち」とは親神様の教えを聞いて知っている者であり、「世界」とは親神様の教えをまだ知らない人々を指す。つまり、「真柱」とは親神様の教えを知っている者達を治める立場だと言うこと。
しやんせよなんぼすんだる水やとて とろをいれたらにごる事なり 三号65
(水に例えて考えてみよ、どれだけ澄んでいる水でも、泥を入れてしまえば濁るのだ)
にごり水はやくすまさん事にてわ しんのはしらのいれよふがない 三号66
(この濁っている人々の心を早く澄まさなくては、しんのはしらの入れようがない)
はしらさいはやくいれたる事ならば まつたいしかとをさまりがつく 三号67
(人々の心が澄んで、はしらを入れることができたなら、末代しかと治りがつくのだ)
近年、かんろだいが倒されたり、真柱様が病に倒れられたり、かんろだいが傾いたりするのは、親神様からの、信仰者の心が濁っていて「しんのはしらのいれようがない」と言うメッセージなのではないでしょうか?
おふでさきには、しんのはしらを入れたならば、「この世確かに治りがつく」「末代しかと治りがつく」と言われるが、「しんのはしらのいれようがない」から、災害や疫病が蔓延し、この世が治らないとは考えられないでしょうか?
では、私たちはどうすれば良いのでしょうか?
以上のような話を聞くと、心が暗くなってしまうかもしれませんが、その必要はありません。親神様は私たち人間を可愛い子供だと思っておられ、幸せにしてやりたいと思っておられます。
おふでさきを読めば、私たちがどうすれば良いのかがしっかりと書かれています。
しんぢつに人をたすける心なら 神のくときハなにもないぞや 三号32
しんぢつにたすけ一ぢよの心なら なにゆハいでもしかとうけとる 三号38
口さきのついしよはかりハいらんもの しんの心にまことあるなら 三号39
わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる 三号47
親神様は、私たちに「人をたすける心になってくれ」とおっしゃっています。
世間では、「新型コロナとたたかう」と言っていますが、「この世は神の身体」と言われるように、新型コロナも親神様の体の一部です。だから、闇雲に怖がる必要はない。あくまでも「病の元は心から」です。
※もちろん、医薬は「修理肥」として親神様から教えられていることですから、これを用いて、マスクの着用、消毒、ソーシャルディスタンスを取るということも大切です。
むしろ、親神様から「しんのはしらのいれようがない」と思われることの方がよほど恐ろしいことだと思います。
親神様のお話を聞かせていただいているお互いから、今まで以上に「人をたすける心」になり、世の治りを願いたいと思います。