昨年、娘が台湾へと旅立ちました。天理教の台湾での拠点となる「台湾伝道庁」で勤めることになったからです。海外といっても、近頃ではインターネットのおかげで、毎日の様子が手に取るように分かります。
先日も娘のブログを読んでいて、ふと目に留まったところがありました。
5月某日
今日は朝から、お世話になっている伝道庁長ご夫妻にお茶を点てさせていただきました。先生は午前中から大切な会議があって、とてもお忙しいはずなのに、「忙しい時こそ落ち着くために」と仰り、おかげで台湾に来て、はじめてお手前をさせていただくことができました。
お道具がすべて揃っているわけではありませんでしたが、先生ご夫妻は、私が日本から持参したお茶を、美味しそうに飲んでくださいました。
そして、お茶を飲まれたあとに一句。
蓬莱も 梅雨入りの朝 茶の湯かな
蓬莱とは台湾の別名でもありますが、その昔、私の曾祖母がここ台湾の地で天理教の布教をし、教会を築きました。今はもうその教会はありませんが、その教会名が「蓬莱教会」といったのです。そのことをよくご存知の先生は、わざわざ台湾を表すのに「蓬莱」と詠んでくださったのです。
素敵な句をいただき、気持ちも新たに今月も頑張ります。
このような日記でした。
「あっ、あの子、忘れないで、ちゃんと野点の道具を持って行ったんだわ」
そう思うと、じーんと嬉しさがこみ上げてきました。
野点とは、野外でお抹茶を点てることを言います。野点に使う道具は、普通よりやや小ぶりの抹茶茶碗、抹茶を入れておく棗(なつめ)、お茶をすくう茶杓や茶筅などで、それらがコンパクトに巾着の中に収納されているのです。持ち運びに便利ですから、出先で茶の湯を楽しみたいという時にも重宝します。
娘は主人の母からいただいて、可愛らしい野点の道具をひと揃い持っていました。台湾へ持って行っても、使う時があるとは私自身思っていませんでしたが、娘が日本を発つ前に、ふと思いつき「みっちゃん、野点の道具、荷物に入れて行きなさいね」と言葉をかけていました。しかし、この日記を読まなかったら、その後の忙しさに紛れて、言ったことさえ忘れてしまっていたかもしれません。
さて、私がどうしてそんなに嬉しかったかというと、実は我が家には、この野点にまつわる素敵なエピソードが残されているからなのです。
主人の母は、台湾生まれの大和撫子。今年90歳です。今も元気で、我が家の中心的存在です。
その母が縁あって九州男児の父と結婚したのは、昭和20年5月10日。あと3ケ月で戦争も終わろうかという頃でした。お見合いといっても名ばかり、仲を取り持ってくださる方にすべてお任せの、親同士が決めた結婚だったそうです。
今、手元に結婚式の日に撮ったと思われるセピア色の写真があります。花嫁とはいえ、それと分かるのは唯一、綺麗に編み込まれた髪を飾る花飾りぐらいでしょうか。あとはモンペ姿の母と、国民服を着た父が緊張した顔で写っています。
時期が時期だけに、母の両親もきょうだいも、台湾から日本に帰ることができず、母はどんなにか心細かったことでしょう。しかしそんな中でも、母は持ち前の粘り強さで弱音一つ吐かず、父との家庭を築き、また嫁として祖母によく仕えたと聞きます。
片や祖母は、我が家の信仰初代です。14人もの子どもを産み、育てながらも、熱心に人だすけに励まれ、そのため戦後の混乱期でも、天理と九州を何度も往復されていました。娘がブログで曾祖母と紹介していたのは、この方です。
ある時、祖母に母がお伴をしての旅の道中のことでした。列車の中は満員以上。その頃の列車といえば、網棚にも通路にも人が寝ていたと父から聞いたことがあります。そんな中で、駅に停車中、どこからか水を汲んできた母は、持っていた野点茶碗で、祖母に一服のお茶を点てて差し上げました。祖母が殊のほか喜ばれたのはもちろんです。
私は今でも、その場の様子を想像すると、自然と笑みがこぼれてしまいます。満員列車の座席に仕切りがあるはずもなく、すし詰め状態の車内の空気はむせ返っていたことでしょう。そんな中での母と祖母のやり取りは、さわやかな春風がそよぐような、温かいものに包まれていたのではないかと思います。
周りの人々は、どんな顔をしていたでしょうね。「こんな所で何をしているんだ、この二人は・・・」と最初はびっくりして、それからほのぼのとした気持ちになってくださったことでしょう。ちょうど、汚れた服を脱いで、湯気の立ちのぼるお湯に浸かり、芯からぬくもった時のように・・・。
窮屈な列車の中で、疲れているだろう祖母の心が少しでも休まるようにと、心を尽くした母の一杯のお茶は、祖母のみならず、周りの人々の心まで潤していったに違いありません。
どんな大変な状況にあっても、心穏やかで、常に相手を思い最善を尽くす・・・簡単にできることではありません。
自分が幸せな時は、誰だって優しくなれるでしょう。しかし、例えば心配ごとがあったり、体調が万全ではなかったりする中で、自分のことはさておいて、周りに気を配り相手を気遣うことは、とても難しいことだと思います。
それを何の気負いもなく、さらりとやってしまう母は、実にあっぱれだと思います。私だったら、かなりの修行がいろうというものです。それでも努力して、母に近づきたいと切実に思います。
そして、せっかく母が自らの背中で教えてくれたこの大切な生き方を、私は「野点の心」と命名し、我が家の家宝として子どもたち、孫たちへと語り継ぎ、その心を受け継いでいこうと思います。
親から子、子から孫へと残せるものは、やっぱりモノやお金ではないですものね。火にも焼けず、水にも流されない確かなものを、つないでいきたいと思います。
母点てし 野点の心 時を越え
受け継ぎゆかん 若き世代に
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