ラジオ天理教の時間 生き方

花として、人として

 何年か前、お客様を迎えるしつらえにと活けた蝋梅があまりにもかぐわしく、その上、透けるような花びらの美しさに魅せられて、それ以来、蝋梅は大好きな花になりました。

 静岡にある信者さんのお宅に素敵な蝋梅の木があって、温かい土地柄、一月に訪れるともう満開の姿を見ることができます。一本の木全体が黄色く染まり、そこからあたり一面に、温かい光がこぼれ出しているようです。

 「わが家にも欲しいなあ」。そんな念願がかなって、信者さんが挿し木をしてくださり、わざわざ持ってきてくださいました。どこに植えようかしら・・・と考えた末、日当たりもよく、玄関を出たら真っ先に見えるようにと場所を決め、主人に植え替えてもらいました。

 あれから三年。まだかな、まだかなと眺め続けた蝋梅が、今年初めて花を咲かせてくれました。小さなつぼみを見つけた時の感動。花開いた時の喜び。用もないのに何度も外に出て、屋根まで伸びた木を見上げ、数えるほどの花を愛でては、ひとり悦に入っています。目を閉じると、まだ生まれたての花たちの若々しい香りが、うっすらと漂っています。

 それにしても不思議です。親木から切り取った一本の枝が、見知らぬ土地に新しい命の根を下ろし、私の目の前で親木と同じ蝋梅の花を咲かせてくれているなんて。与えられた命を全うしようと、ひたむきに努力し続けているのだと思うと、「よく頑張っているね」と声を掛けてあげたくなりました。

 そしてまた、この蝋梅でさえそうなのですから、私たち人間も、自らに与えられた命を人間らしく懸命に生きなければと思うのです。

 名古屋に住む姉は、10年以上前に主人を亡くし、その後は一人娘と二人の

生活でした。ところがその娘が7年前、単身オーストラリア行きを決意し、旅立っていきました。

 最初は堪能な語学力を伸ばし、人生のステップアップを目指しての短期留学のようなものだと思っていたのですが、語学学校を終え現地で働きはじめると、もとより明朗で責任感の強い人柄なので、仕事先のオーナーにすっかり信頼され、ほどなく店舗を任されるようになりました。また、誰とでもすぐに打ち解けられる天性の明るさが、友だちの輪をどんどん広げていきました。

日本にはまだ馴染みの少ないシェアハウスという、一軒の家を何人かで借りて住むという暮らしで、シェアメイトの世話を焼いたりしているうちに、いつしか日本からの留学生をはじめ、同じように現地に住む若い日本人のお姉さん的存在として、大いに慕われていたそうです。

 私は日本にいながら、ブログなどで姪の楽しそうな海外生活を知るうちに、もしかして、そのままオーストラリアに永住してしまうのかしらと心配しましたが、昨年やっと日本に帰ってきてくれました。

 帰国後、時間ができて、ゆっくりと姪の話を聞く機会がありました。

 最初は、親や知り合いのいない生活が心細かったけれど、町で出会う人が、目が合えば見ず知らずの自分にでも、にっこりと微笑んでくれる。そして誰かが困っていれば、必ず誰かがそっと手を差し伸べてくれる。そんな優しいオーストラリアの地が大好きになったと、きらきらした目で話してくれました。

 更に、日本に帰ってきてみると、7年前以上に、またオーストラリア以上に色々なものが便利になっていて、快適な生活を送れるようになっている。けれど、その便利さや快適さと引き替えに、人と人がつながり合う人間らしい生き方を、どこかに置き去りにしているように感じた。

 これから日本で生活していく私は、せっかく二つの国の良さを知ったのだから、それらを融和させながら、多少不便でもいいから人を大切にする生き方をしたいと、将来を語ってくれました。

 様々な体験を通して、ひと回りもふた回りも成長した姪の姿は、まぶしく輝いていました。

 私は、姪がたどり着いた生き方の基本は、もちろんオーストラリアでの経験が生きていると思いながらも、もっと深い部分で、彼女の両親である兄と姉の影響が大きいと感じました。

 兄はとても懐の大きい人で、たくさんの従業員を抱えて仕事をしていましたが、面倒見が良く、誰からも「おやじさん」と慕われていました。

 また姉は、親孝行にかけては天下一品。右に出る人はいません。さらには私たちきょうだいはもとより、知り合った人への気配りが行き届いていて、私が尊敬する最も身近なお手本です。

 遠く離れたオーストラリアの地で、どんな時も人の縁に恵まれた日々を過ごせた姪は、一つには本人のがんばりもあるでしょうが、もう一つには、こんな両親の人と人のつながりを大切に思う生き方が大きく実を結び、陰で働いてくれたのだと思います。

 子どもは成長すれば、やがて親の元を離れていきます。親が子どもに残してやれるものは、ひたむきな親の生き様であると強く思います。 

 あの蝋梅が蝋梅たろうとするように、私たち人間も、人間としての生きる意味を、次の世代へ伝えていきたいものです。

 天理教の教祖、おやさまは、「人間は、互いにたすけ合って、陽気ぐらしをするために生まれてきた」と教えてくださいました。自分勝手な欲の心をきれいにはらい、人を思いやる陽気ぐらしという生き方を家族や社会に伝えていきたいと、姪の話を聞きながらあらためて思いました。


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