さよならの向こうに

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先日、母方の叔父の葬儀に参列してきました。母は五人きょうだいの一番上、亡くなった叔父は四番目で86才でした。

もう何年も前から足を悪くしていて、住まいの東京から岐阜までの長旅は耐えられないとのことで、長らく会っていませんでしたが、94才の母が元気にしているので、てっきり叔父も元気なことと思っていました。おそらく母もそうだったのでしょう、訃報を聞いてびっくりした様子でした。

きっとお別れに行きたいだろうなと思いましたが、母の体力を考えるとそれも叶わず、夫と私が出向くことになりました。

私の思い出の中の叔父は、何度かわが家に遊びに来てくれた時の姿です。釣りが趣味の叔父は、夫が獲ってきた長良川の鮎をことのほか喜んで、夫との楽しい鮎談義に時間を忘れ、気持ちの良いお酒を飲んでいました。ダンディで笑顔の素敵な叔父と、いつもそばに寄り添う叔母は、とても仲が良く素敵なご夫婦でした。

さて、今の世相を映しているのか、斎場は予約がいっぱいだそうで、葬儀は一週間後となりました。

お別れの日、東京の空は前日と打って変わり、雲一つない晴れやかなお天気で、窓に差し込む光が輝いていました。棺の中の叔父は、ふっくらとした頬、眠っているような目。やつれた様子も見えず、穏やかな顔つきでした。

初めて会うお孫さんが、亡くなる前の叔父の近況を話してくれました。病気をすることもなく、ずっと家で過ごし、亡くなる二日前まで幼いお孫さんを膝に乗せ、会話を楽しんでいたのだとか。

「最期は、ひょいと手を上げて『またな』って言ってるみたいだったわ」と誰かがつぶやくと、棺を取り囲むみんなから笑みがこぼれました。

 一人ひとりが、生前の叔父との思い出の中に、そんな心に残るワンシーンを持っていたのかもしれません。長らく疎遠になっていたけれど、叔父は東京で、叔母と二人で一から歩き始め、今こうして周りに集まる子や孫たちにも恵まれて、良き人生を歩んでこられたのだなあと、感慨深い気持ちになりました。

葬儀も終わり、食事の席で、遺品の中から見つかった写真が話題になりました。母のアルバムで見覚えのある、古い家族写真でした。

一緒に参列した叔父のきょうだいが、昔の話を色々聞かせてくれて、今は亡き叔父が改めて身近に感じられる思いがしました。

面白いのは、叔父と私の夫の太い八の字眉毛がそっくりなこと。血のつながりの強さが感じられて、不思議な気持ちになりました。

わが家では、父が17年前に亡くなりました。その後、数年ごとに故人を偲ぶ年祭の折に、参列してくださった方々に、在りし日の父の姿を見て頂こうと、短いビデオを作りました。たくさんの古いアルバムをひっくり返し、年代別に整理することから始め、父や母の昔を知る人にも確認しながら、毎晩パソコンと格闘を繰り返して、何とか年祭の日までに完成させることができました。

有り難かったのは、父が生前、よく昔語りをしてくれていたことでした。祖父や祖母のこと、吉福家のルーツ、14人のきょうだいたち……。父の幼い頃から晩年に至るまでのエピソードが、晩酌の度に語られていました。興が乗れば深夜までということもありましたし、もちろん年代順に語られるわけでもありませんが、聞いていたことが役に立ちました。

今だから言えることですが、父の話を聞いている時、不謹慎にも「早く終わらないかなあ」と思ったことが何度もありました。しかし、段々と自分が父の亡くなった年齢に近づくにつれ、もっともっと聞いておけば良かったと、その話の大事さに気がつきました。

人は皆、この世に生をいただき、そしていつか出直していきます。親から産まれた子が、親となり、子供を育てる。そのうえに人類の歴史があることは、不変に続く真理です。中でも、深い縁に結ばれた人と人が家族となり、親・子・孫へと生まれ替わり、出替わりしているのだと、天理教では教えられています。

祖先がどんな生き方をして、こんにちに繋がっているかを知ることで、今の幸せをより深く感謝できることにもなるでしょう。また、どこかでつまずいた時には、よくよく元をたずねて行くことで、今後の自分の生き方を考える大切な指針ともなります。

今、私たちは、両親や祖父母、祖先が頑張ってくださった根っこの上に立たせて頂いている。そのことを自覚して、大いに前を向いて歩いていきたいものです。

叔父とのお別れの儀式は終わりました。とはいえ、さよならの向こうは、また新たな始まりでもあります。こうしてお近づきになれた、いとこやはとこたち。これから繋がりが広がっていけば、叔父もきっと喜んでくれることでしょう。

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