秋の日のことです。学校から帰ってきた勇人(ゆうと)くんが、お菓子を食べながら、お母さんとなにやら話し込んでいます。「なんの話?」おばあちゃんの私が聞くと、お母さんが教えてくれました。
「今度行われる参観日に、『秋、見~つけた』というテーマで作品を作るそうなんです。それで、参観日までに秋らしいもの、例えばどんぐりとか、いちょうの葉っぱとかを集めてきてくださいと言われていて、この前から勇人と一緒に近くの公園などを探しているんですが、どんぐりが見つからなくて。どうしようと話していたんです」。
「まあそうなの。昔はこの近くでも大きな松ぼっくりの落ちる木があったって、つい先日、ご近所のおじいさんに聞いたばかりよ。そうそう、その近くの公園にも確かどんぐりの木があったわよ。もう切ってしまったのね。困ったわねえ」。
その後しばらくして、私は夫と買い物に出かけました。行く先は、ちょっと郊外の柿市場。岐阜は富有柿発祥の地と言われていて、柿畑が続く郊外には、大きな柿市場から、畑の片隅に箱をひっくり返して並べただけの無人販売所まで、この時期とても賑わうのです。
買い物を済ませ、車を走らせていた時、ふと思い出し、夫に聞いてみました。「この信号を左に曲がったところに大きな神社がなかったかしら。昔、子どもとどんぐりを拾ったおぼえがあるんだけど」。
実は、まだ子どもが小さい頃、ほんの少しの間でしたが、親子三人この近くに住んでいたことがあったのです。夫も勇人くんのどんぐり探しのことは聞いていたらしく、「そうだなあ、行ってみよう」と、すぐさま進路変更です。
しばらく走ると、こんもりとした木の頭が家々の屋根の上に見えてきました。思い出のままの神社がありました。そして、いっぱいのどんぐりも……。
しばし童心にかえって、夫婦でどんぐり拾いを楽しみましたが、帰りの車の中で夫が言いました。
「僕たちが小さい頃は、こんな宿題のことは親には話さなかったなあ。自分一人か、友だちを誘って、さっさと拾いに行ったものさ」。
「それは古き良き時代よね。今では、子どもだけでどこか遠くへどんぐり拾いに行くなんて、危なくて考えられないわよ。それに、あなたの子ども時代は、遊ぶといえば家の外だったから、友だち同士で遊び場の情報とかも共有していたんじゃない。今の子どもたちが置かれている環境とは、まるで違うわね」。
そんな会話が続いていたのですが、ふと、私は自分が発した「情報の共有」という言葉に立ち止まりました。
今や情報といえば、すべてネットの中で得られると言っても過言ではありません。試しにスマートフォンの検索機能を使って、「岐阜市 どんぐり」と入力してみると、勇人くんと同じように、どんぐりを探している親子の質問や、それに対する情報がずらっと並んでいました。便利だなと思う反面、なんだかお手軽に答えを手にしているようでもあり、複雑な気持ちになりました。
さて、それはそうと……。
「ねえ、あなた。孫の宿題を、おじいちゃんとおばあちゃんだけが楽しませてもらっては申し訳ないわね。今日勇人くんが帰ってきたら、どこかどんぐりのあるところを探しに行きましょうよ」。
私の提案で、夕暮れ前、孫二人と四人で、夫が「ここならきっとどんぐりがあるはずだ」と言う大きな公園を目指しました。公園に着くと、さっそく孫たちは弾むように駆けながら、木の茂みをのぞき込み、進んでいきます。と、後ろから夫が声をかけました。
「木を見上げてごらん。ドングリのなる木を見つけてから、その下を探すんだよ」。なるほどなるほど。
どんどん進んでいくと、「おじいちゃん。あんな所に松ぼっくりがあるよ」勇人くんの指さす方向は、大きな大きな松の枝です。
「ホントだなあ。よし、それじゃあ辺りを探してごらん。松ぼっくりが落ちていないかな」
「おじいちゃん、ぜーんぜんないよ」
「そうかあ。まだ落ちていないんだな。でも、もうあんなに色が黒くなっているし、ちょっと揺らしたら落ちてくるかな」
夫は松の木をどんどんと叩いてみますが、松はビクともしません。
「どうやったら落とせるかなあ」。孫たちに問いかけますが、答えは返ってきません。「そうだ。あそこのお店にほうきを借りに行こう」。
夫は訳を話し、近くのお店からほうきを借りてきて、松ぼっくりのある辺りをザワザワザワとはたいてみました。「ワァァ~」と孫たちは歓声をあげました。たくさんの松ぼっくりが降ってきました。飛び回りながら、松ぼっくりを拾う姿の楽しそうなこと。
やがて、「よし、これぐらいでいいな。それじゃ、ほうきを返しに行こう」孫たちを連れて行き、お店の方に大きな声で「ありがとうございました」と挨拶をさせました。
帰り道に別の公園でも可愛いドングリを見つけることができ、用意してきたビニール袋はいっぱいになりました。
こうして、勇人くんの宿題は果たせたようです。勇人くんは、おじいちゃんとどんぐり拾いに行って、いろんなことを肌で感じてくれたことでしょう。
そして、私も大いに考えを深めることができました。これからの社会を託す子どもたちの学びのために、おじいちゃん、おばあちゃんは、まだまだ力を発揮しなければなりません。経験や知恵を伝えることも大きな役目でしょう。一方ではネットの便利さも享受しながら、心のふれあう温かい人に成長してくれるよう、人と人がつながり合う喜びを感じてくれるよう、見守っていきたいなと思いました。
さあ、参観日にはどんな作品ができるのでしょう。おばあちゃんのほうがわくわくしています。