私は、毎朝、新型コロナウイルス感染拡大の早期終息をはじめ、多くの方々の病気の治癒や困った事情が解決するように願い、お願いづとめをつとめています。
天理教の教えは拝み祈祷の教えではありませんから、お願いづとめをつとめる際、お礼を申し上げると共に、「これから私はこうします!」という心定めを添えて願わなければなりません。
そこで、新型コロナウイルスの感染拡大の早期終息を願うにあたり、どのような心定めをするべきか、ということをよく考えることがあります。
ある時、新型コロナウイルスの影響で、世界中の街がロックダウンし、経済が停滞し、人々の移動が減ったことにより、地球環境が良くなっているという記事を読みました。
その時、親神様は、「地球環境のことをもっとしっかり考えよ」とおっしゃっているのかなぁと感じました。
おふでさきに、次のおうたが2回も出てきます。
たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ
この世は親神様の身体であり、私たち人間は、その懐住まいをさせていただいています。
心だけが自分のもので、それ以外の全てのものは親神様からの借り物なので、当然、地球環境も私たち一人ひとりが親神様からお借りしている借り物です。
今まで私は、環境問題に対して、自分一人でできることなどたかが知れているし、ほとんど何の意味もないことだ。それよりも、目の前で悩んでいる人が幸せになれるように力を尽くした方が良い。と考えてきました。
しかし、それは間違いだったなぁ、と気付きました。
この世は親神様の身体であり、地球環境無くして私たちは誰一人として生きていくことはできません。
だから、どんなに小さい力であったとしても、「自分自身として、地球環境のためにこうする!」ということがなければならないと思います。
地球環境の問題となると、いろんな説があり、何が正しくて、何が間違っているのかということが正確にはわからないことが多いように思います。
例えば、「環境のために割り箸を使わないようにしよう」と考えたとします。
しかし、「割り箸は端材や間伐材を使って作られているからむしろ林業の促進に有効」という意見もありますし、逆に「それは数十年前の話で、今は外国からの輸入品がほとんどで、しかもそれらは森林を一斉に伐採して作っていて、その後、植林はしていないから環境に悪いのだ」という意見もあります。
地球環境の話になるとこういうことが多いので、私自身は、分からないからもう考えるのはやめよう、と諦めてしまっていました。
しかし、これからは、私自身の問題として、地球環境の問題を考え、どんな小さなことでも実行にうつしていきたいと考えています。
そして、環境問題に関して、もう一点、気になっていることがあります。
それは、地球環境のことを訴えている団体は、偏ったイデオロギーと結びついていることが多いように感じることです。
天理教では、「かしもの・かりもの」という教えがあります。私たちの身体をはじめ、身の回りにある全てのものは、私たち自身の心のあり方にふさわしい形で親神様が貸してくださっているものだ、という教えです。
ですから、「私は環境のためにこうする!」と考え、実行するのは良いのですが、その考えを他人にまで押し付け、他人が環境に悪い行動(自分目線で)をしているからと言って不満に思ったり、攻撃したりすることは、親神様の思し召しに沿っていません。
あくまでも、自分自身の問題だと考えることが大切なのです。
これを読んでいるあなたも、ポスト新型コロナウイルスの時代が到来するまでに、あなた自身にとっての環境問題について考えていただけたら嬉しいです。