夏の一日。まだ照りつける日差しに、軒先には直径1メートル以上ある竹製の丸いザルが干してあります。一年中で一度だけ使われるこの道具、さて、何に使うのでしょうか。答えは、梅干しを土用干しするためのザルなのです。皆さん、知っていましたか?
私は、結婚して母がこのザルを物置から出してきた時に、何に使うのだろうと、その大きさと共にびっくりした思い出があります。里の母も何年かに一度、梅酒や梅干しを漬けていたのを見たことがありましたが、こんなザルは使っていませんでした。きっと、これを使うほどの量でもなかったのでしょうね。
梅雨入り前、スーパーに泥つきらっきょうや梅が並び始めると、普段はおっとり型の母が何だかとってもウキウキして、張り切っているように見えました。らっきょう、梅酒、梅干し、梅ジュース、この4点セットは母の年中行事だったからです。私が料理を担当するようになってからも、「これだけは私の仕事」とばかりに、毎年毎年、季節になると楽しそうに作っていました。
おかげで、私は母に任せきりで、特にらっきょうはあまり好きではなかったので、台所中がらっきょうの匂いで満たされる時期には、早く終わらないかなあと、今から思うと申し訳ない気持ちで日々を過ごしていたのです。
やがて時が経ち、母も次第に老いて、年中行事が二年に一度になり、不定期になってきて、私はふと気がついたのです。ずっと続くと思っていた母の年中行事が、このままでは途絶えてしまうではありませんか。毎年広口ビンを台所のテーブルいっぱいに広げて、一粒一粒梅を慈しむように焼酎で洗っていた、あの姿が見られなくなるのです。土用の頃には、お天気を気にしながら、梅干しを広口ビンから出したり入れたり、ザルの梅干しを汗をかきながら丁寧に裏返していた、あの姿も見られなくなるのです。
これは大変です。今のうちに母に教わっておかないと……と、そんな気持ちから、私も梅干しや梅酒を漬けるようになりました。苦手だったらっきょうも、作り始めてみれば美味しいと感じられるようになったのですから、不思議なものです。
さて、今年も同じように泥つきらっきょうをスーパーで見かけました。そろそろだなと、心の準備体操。まずはらっきょうの塩漬けから始めます。すると、それをどこかで見ていたかのように、一本の電話が入るのです。
「奥さん、梅の実が大きくなってきましたよ。今年は豊作でね、実も大きいですよ。あちこちから取りに来ていますが、いちばん良さそうな木一本だけは、『教会へ届ける分だから、手をつけるんじゃないよ』と言ってあります。奥さんが教会にいる日に合わせて、とって送ります」
近年、私が梅を漬けるのを知った信者さんが、毎年梅を送ってくださるようになったのです。神様にお供えするためにと、丸ごと木を一本、手をつけずに待っていてくださる、その神様に対する心映えがとても嬉しく、おまけに田畑の手入れが忙しい時期に、私の予定に合わせてとってくださる心遣いを、心からありがたく感じます。
届いた梅はぷっくりと大きくて、部屋中に梅の香りが漂いました。さっそく神様にお供えしてから、私の年中行事本番です。
大きなボールに梅酒、梅干し、梅ジュースと用途別に分けて梅を洗い、あく抜きのためしばらく水に漬けておきます。次の作業の準備をしながら、時々梅に目をやると、ボールの水が日の光を反射するのか、梅の色がころころと変わってとてもきれいです。
「昼下がり 梅の実ぷかり 水きらり」俳句の宿題も一句できました。
梅酒用の青梅は、母がしていたように、もいだところのホシを取って焼酎の中で転がして、同じように焼酎で中をきれいにふきあげた広口ビンに一粒一粒入れていきます。量が多いので時間がかかりますが、ゆったりした気持ちを持てる至福の時でもあります。また、梅干し用に赤みが出るまでと、少し待っていた梅も塩漬けです。母に習ったように塩分は抑えめにします。
梅ジュースは氷砂糖、グラニュー糖、三温糖と使い分けることで味わいが変わり、楽しみが三倍になります。
こうして全部漬けこんだあとも、梅ジュースが発酵しないように、梅干しの塩漬けがカビないようにと、気を使いながらの毎日です。やがて、梅干しに赤しそを入れて、真夏の太陽の下で土用干しをし終えたら、今年の年中行事は終わりです。やっと胸をなでおろすことができます。
母に代わって、こうしてらっきょうや梅を漬けるようになって、かれこれ10年以上が経ちました。
最近思うことがあります。母から受け継いだのは、その味だけではなく、風景を受け継いだのではないかということです。家の中でお母さんが梅酒や梅干しを漬けていた、その時の仕草や時間の流れ、それらを風景として、幼い頃から子供たちの心に留めておくことが大切なのではないかと思うようになったのです。
「母から受け継ぐいいあんばい」
あんばいという言葉は、元々は塩と梅酢を合わせた調味料のことを意味していて、そこから味加減のよいことを指すようになったと聞いたことがありますが、さらに広く、物事の具合や調子がいいことも表すようです。
毎年の梅酒や梅干しが、いいあんばいに出来上がるのも嬉しいことですが、それを通して、家族や人々の関係もあんばい良くいくことが出来てこそ、労力を惜しまず作った甲斐があるというものです。
92歳の母は、私が漬けた梅酒をキュッと美味しそうに晩酌するのが、もう何年もの日課です。それが何より、母の元気な証拠。その姿に家族みんなが笑顔になります。 さあ、今年の梅酒の味がみられるのも、もうすぐです。その前に、今日はちょっと特別に何年か前の梅酒を開けて、みんなで乾杯といきましょう。
吉福多恵子さんの著作が発売されました。縁あって「家族」アマゾンから購入できます。