神様には姿はあるのでしょうか?また、目で見ることはできるのでしょうか?
今回は、親神様の姿についてお伝えします。
親神様の姿について
私たちが信仰している神様はお名前を天理王命様と申し上げ、親神様ともお呼びしています。
さて、この親神様に姿はあるのでしょうか?
実は、教祖に直接お尋ねになった方がいらっしゃいました。
その方が、教祖に、
「天理王命の姿は有るかと尋ねられますが、どう答えてよろしゅうございますか」
とお尋ねしたところ、
「あるといえばある、ないといえばない。願う心の誠から見える利益が神の姿やで」
とお答えになったそうです。
「あると言えばある、ないと言えばない」なんて、口先で騙そうとしているのではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。
どういう意味かと言いますと、
人間の力では到底解決できない病気や悩みなど、どうにかたすけてくださいと親神様にお願いする。
その願いが叶えられた時、「あぁ、親神様は本当におられるのだ!」と信じることができるようになる。
願う心の誠から見える利益が神の姿やで、とはそういう事をお教えくださっているのだと思います。
実は、私自身も、学生だった頃、ある願いを親神様に聞き入れていただき、それをきっかけに心から親神様を信じることができるようになったという経験があります。
目に見える形では親神様のお姿はない、しかし、目に見えない形でのお姿はある。それは、誠の心で親神様にお願いをし、その結果見せてくださったご利益こそが神様の姿なんだよ、ということなんですね。
親神様の身体と心
神様の姿の話をしたついでに、親神様の身体と心についてもお話しておきたいと思います。
おふでさきに、
たん/\となに事にてもこのよふわ
神のからだやしやんしてみよ 三号40・135
というお歌があり、「この世は神の身体だ」と仰っています。
私たち人間が住んでいるこの地球をはじめ、宇宙全体が親神様の身体です。
逆に言えば、私たち人間は、親神様の身体の中に懐住まいをさせていただいているのです。
次に、親神様の心についてお話をしたいと思います。
おふでさきに、
いまなるの月日のをもう事なるわ
くちわにんけん心月日や 十二号67
しかときけくちハ月日がみなかりて
心ハ月日みなかしている 十二号68
この「月日」とは親神様のことです。
つまり、
親神様が思っていることは、中山みき様という人間の口を通して話をするのだ。
そして、親神様の心は、教祖の身体の中に入り込んでいるのだ。
と言う意味です。
つまり、親神天理王命様のお身体は全宇宙で、そのお心は教祖のお心としてはっきりとお現れくださっているのです。
親神様のお姿は、目で見ることはできません。
しかし、この世は親神様の身体です。
心だけが自分のもので、私たちの身体も親神様からかしていただいていることを考え合わせれば、私たちの身体も親神様の身体の一部だと言えます。
姿は見えませんが、親神様はいつも私たちのそばにいらっしゃるのですね。
親神様のお姿についてのYouTube動画もありますので、ぜひこちらもご覧ください。