ラジオ天理教の時間 子育て 生き方

世界は不思議に満ちている

 「賢い子に育って欲しいと願うなら、お子さんにお手伝いをしっかりさせてください。机に向かう勉強だけでは、本当の学力はつきません」。

 息子が小学三年生になって初めての参観日に、新しい担任の先生がおっしゃいました。先生は続けて、

「例えば今、算数で余りのある割り算を勉強しています。『40人の生徒が3人がけの椅子に座る時、何脚あれば全員座ることができるでしょう』という問題に対して、40÷3=13余り1、という計算はできても、この問いの答えを導くには、余りの1人にも1脚の椅子が必要だと想像できるかどうかが大切なのです。日頃から、家庭で夕食のおかずを家族分にわけたり、いろいろなお手伝いをしている子は、ふっとそのことに気がつくのです。

テストの点数が良かったとか悪かったとか、親はとかく目に見える学力に一喜一憂してしまいがちです。しかし、子供が生きていく上で本当に必要な学力は、もっと目に見えないところに存在しているのです。勉強机に縛り付けるのでも、テレビやゲームに子守りをさせるのでもなく、少し時間はかかっても子供に家事を手伝わせましょう。しっかり外で遊ばせましょう。そして、親が正しい日本語を使ってください。国語の本を読めば、内容が自然と目に浮かんだり、行間にこもる情感を感じ取れるような国語力。それらがすべて、目には見えないけれど、お子さんの立派な基礎学力になるのです」。

もう三十年が経つというのに、未だにあの時の先生の言葉はしっかりと覚えています。先生はその後四年間、息子の担任で、その間に私は先生から多くのことを学びました。先生のおっしゃるような、目に見えない学力をつけさせてやれたかどうかは分かりませんが、今その息子は三人の男の子のお父さんになっています。

その息子の嫁が、面白いことを言ってきました。

「お母さん、この間、成一(せいいち)のお友達が遊びに来ていて、『ぼく、成一くんのうちに生まれなくてよかった~』って言うんです。『どうして?』って聞いたら、『成一くんたち、いつもお手伝いばっかりやらされてるもん』って答えるんですよ」。

なるほど、子供たちもよく見ているものですね。私が件の先生の言葉を伝えたわけでもないのに、嫁は子供たちが小さい頃からお手伝いをさせることに力を注いできました。

二年前、息子夫婦と同居を始めた時、嫁がいちばん最初にしたことは、子供たちがお手伝いしやすいように食堂を改造することでした。身長が低くても洗い物ができるようにと専用の踏み台を準備したり、食器乾燥機の位置が高すぎて、食器を入れたり片付けたりできないと分かると、わざわざ棚を一段外して低くしたり。おかげで小学四年生と二年生の二人の「お手伝い王子」は、スイスイと家事をこなします。

トイレ掃除も幼稚園の頃からさせていたと言います。完璧でなくても、できたことを褒め、根気よく子供たちに付き合って、一緒にやりながら教えていった嫁の努力は大したものだと感心します。

さて、考えてみると、学力に限らず、私たちは目に見えないことに包まれて生活しています。意識せずとも、身体の中が調和を保って動き続けているおかげで、元気に過ごすことができます。一粒の種は土に落ち、自然の力の中で芽を出し、大きくなって花を咲かせます。風も電気も電波も、目には見えません。このように、この世は不思議に満ちた世界です。

また、「人の心」という目に見えない存在に一喜一憂しながら生きているのも、私たち人間の毎日なのです。

先日、早朝に夫とウォーキングに出たとき、向こうから歩いて来られた老夫婦が、山の端から昇り始めた太陽にしばし足を止め、手を合わせておられる姿に接し、とても清々しい気持ちになりました。

やがて何事もなかったように歩き始めたご夫婦の姿は、映画のワンシーンを見ているようでした。きっと幼い頃からご両親のされることを見て、自然に身についた所作なのだと思いましたが、尊いと思えるものを心の指針に生きるって素敵です。

教会であるわが家では、毎日朝夕、おつとめをつとめます。神様の姿は見えませんが、身の回りに起こる様々な出来事から神様の働きを感じ、ご守護をお礼申し上げたり、誰かの幸せを祈る大切な時間です。ありがたいという感謝の気持ちも、痛みを分かち合い寄り添う優しさも、自分は一人で生きているのではないという謙虚さも、見えないけれど大切なものの中にあるのだと思います。いつも見守られている安心感に心が安らぎ、時には揺れ惑う自分を律していけるのも、大いなる神様の存在を信じればこそです。

これからの社会を生きていく子供たちに、また、不安で眠れない夜を過ごしている人たちに、私は見えない世界の豊かさを伝えていこうと思っています。

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