『陽気』信仰随想 2009年度 生き方

水無月随想

六月は私の誕生月です。ところが私は小さい頃、六月があまり好きではありませんでした。一年中で六月ほど地味な月はありません。五月のゴールデンウィークと七月から始まる夏休みに挟まれて、国民の祝日が一つもない六月のカレンダーはいかにも殺風景で華やかさがありません。加えて六月といえば梅雨。雨が降り続く毎日、どんより曇った空に心まで沈んでしまいそうな気がしたものです。

ところで六月の和名「水無月」は、梅雨時は雨が降って天に水がなくなるからだと思っていたのですが、最近調べてみて、陰暦六月は梅雨が明けて田に水を引く月であることから「水の月」といわれるのだと知りました。ついつい陽暦の季節感で物事を考えていたことが間違いの原因です。陰暦の表記が多い教祖伝を味わう時にも注意しなければと改めて思いました。

さて、教会に繋がる信者さんには農業に携わる方が多く、その方たちの会話を聞いていて、田植えの時期も、お茶を摘み始めるのも、何でもがお天気と相談しながらなんだと新鮮な気がしました。考えてみれば当たり前でもありますが、長い間コンクリートの上に暮らすようになると、つい忘れてしまう感覚です。土の匂い、風の音を肌で感じて、自然を敬う心に「旬」を感じ取れるのでしょう。「旬」とは物事を行なうに適した時期という意味です。そしてその「旬」に素直に沿ってものづくりをしておられるのですね。考えてみると、私たちの人生も様々な「旬」に生きています。親神様の子ども可愛い一条の親心に生かされて、与えていただく「旬」を生きているのだと思います。嬉しい喜びの「旬」ばかりなら良いのですが、予期せぬ事態や思いもかけない出来事に出合うと、それが私にとって一番成人しやすい時期なのだと悟ることができず、結果として大切な「旬」を見逃してしまうことが今までに何度あったことでしょうか。教えを信じる素直な心で、与えられた「旬」をしっかりキャッチし、軽んじることなく成人したいものだと思います。

六月の雨は晴れた日の埃を沈め、田を潤し、心を落ち着かせてくれる慈雨。そろそろ田植えも始まるでしょう。最近母から受け継いだ梅干作りの準備も始めなくては。六月が待ち遠しくなりました。


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