人間いきいき通信 2002年 子育て 生き方 親子関係

生きる力を育てるものは?

長男が小学校低学年のころ、ある授業参観日に担任の先生が次のような話をされた。

「今、算数で余りのある割り算の勉強をしています。例えば、ここに三人掛けのベンチがあります。二十人が座るには何脚のベンチがいるでしょうか、という問題に、ある子は『六脚余り二人』と答え、ある子は『七脚』と答えます。この差はどこにあるのでしょう。日ごろから色々な経験を積んでいる子は、余りの二人が座るにも一脚のベンチが必要だと考えます。しかし、机の前だけの勉強ではここに思い至らないのです。だからいつも心掛けて家のお手伝いをさせたりして、学校では出来ない経験を積ませてやってください。」

今の私なら膝を打って、「先生、すごい。奥が深いお話ですね。」と感心するだろうが、当時、新米ママの私には、余りのある割り算と家のお手伝いの関係が理解できなかった。

『息子の一人旅』

近頃、子どもたちの教育の中で「生きる力」を育てようとよく言われている。

この「生きる力」とは一体何だろうか。

私の夫は、少年時代、野山をかけ回るわんぱく少年だった。そのせいか、今でも川魚を獲るのは名人芸だし、草や木、畑の作物もあきれるほどよく知っている。片や私は、田んぼの中の一軒家のような田舎育ちなのに、目の前に出された食材を調理することは出来ても、野菜の種類や名前になるとまるでお手上げである。

この二人が別々にタイムマシンで原始の世界に旅したらどうなるだろうか。夫は食料を確保して雨露をしのぎ、生き延びていくだろうが、私のほうはきっと二日と持たないと思う。困難な状況の中で、自分の持てる限りの知恵を働かせて、自分を最良の方向に導く力。神様から授けられた感性を研ぎ澄まし、いざという時にどれだけ活かすことができるかで明暗が分かれる。

さて、小学校に入学したばかりの息子が、一人旅を経験した時のこと。「なるくん、岐阜まで一人で帰れる?」と心配するおばあちゃんに、「大丈夫だよ。分からないことがあれば駅員さんに聞くから。」と、小さな体にリュックを背負い、胸を張って見せたそうだ。生まれたときからおっとりした性格で、幼稚園ではいつも友達よりワンテンポずれて、せっかちな私をいらいらさせた息子がである。電車を乗り継いで、約4時間の道のり。見送った母と迎える私たちのほうがどれだけ気を揉んだことか。ちょっと誇らしげで自慢げな顔が改札口に見えた時、胸が熱くなった。

『家庭が基本』

子どもたちの心は柔軟である。育てればどこまでも大きく伸びていく力を持っている。それを阻んでいるのはもしかしたら、私たち親の身勝手さかもしれない。

苦労せずとも欲しいものが何でも手に入ることは、一見幸せであるかのように思える。しかし、スイッチ一つですべてが事足りる日常からは、感動は生まれてこない。頭だけでなく、体全体で物事を見、感じ取ることが大切なのではないだろうか。

もっと便利に、快適にと「与え」続けることが親の愛情だと勘違いして、肝心なことを伝え忘れているような気がする。昔の人は「可愛い子には旅をさせよ」と言い、百獣の王ライオンは、我が子を谷に落として生きる厳しさを教えるとか。モノに溢れた今日だからこそ、私たち親はもっと、子どもに不自由をさせる勇気を持ちたいと思う。すべてが足りていたのでは、「もったいない」というモノへの愛着も生まれないし、仲間や家族がお互いに助け合う心の絆も結べない。モノを活かし、人を活かし、何よりも自分自身を活かすことがたくましい「生きる力」につながっていく。

「生きる力」をはぐくむは、学校任せではなく、『家庭が基本』であると思う。

2002年 天理時報特別号「人間いきいき通信」掲載
執筆者:吉福多恵子


吉福多恵子さんの著作が発売されました。縁あって「家族」アマゾンから購入できます。

『天理時報特別号(人間いきいき通信)』は、明るい人生へと導くためのヒントを提示する、初めて教えにふれる人にとって最適の新聞です。教語を多用せず、教えのエッセンスを分かりやすく伝えます。天理教のことを知らない人や、信仰を始めて間もない人でも、気軽に手に取り、教えにふれることができます。
月に1度、年間で12回、お手元にお届けします。
本誌のサイズはB5サイズで、8ページです。
年間購読料は660円(送料込み)です。

購読を希望される方は濃飛分教会までご相談ください。

 

-人間いきいき通信 2002年, 子育て, 生き方, 親子関係