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思い出は半切り桶と共に

 わが家にある大きな半切り桶。半切り桶とは、お寿司を作る時に、ご飯にお酢を混ぜ合わせる木製の桶のことを言います。この半切り桶、私が嫁いできた時にはすでに使われていて、しかも充分に使いこまれた風格がありましたから、おそらく半世紀以上、わが家の台所を見てきた「台所の主」のような存在です。

 底も周りも釘など一切使わず、木の板を組み合わせて作られていますが、長年使っているうちに、周囲を締めている金のタガが緩んだり、底の板が反ったりして、木と木の間に隙間ができ、お酢が漏れてしまうことがあります。

そのたびにタガを締めたり、ゆがんだ底板を何とか合わせたりと、ご機嫌をとりながら今日まで使ってきました。

最近では、使うたびにもう限界かなと思うのですが、愛着がありすぎて、町で新しい半切り桶を見つけても、もうちょっと頑張ろうと買いそびれています。

私が結婚して初めて教わった「わが家の味」。それは、ちらし寿司でした。中に入れる具は、酢サバ、ちくわ、ごぼう、人参、シイタケが定番で、ほかに季節の野菜。上には錦糸卵と海苔、紅ショウガを飾るという素朴で簡素なものでした。教会の信者さんが集まる日はもちろんのこと、子どもたちの誕生日、入学や卒業などの節目、ひな祭りや子どもの日などにも、必ずと言っていいほど食卓にはちらし寿司が登場しました。

夫のきょうだいが、こんな思い出話をしてくれました。

「私たちが小さい頃、友だちの間ではお誕生日会が流行っていてね。よく誘われたけど、私の誕生日の時には、うちはみんなを呼んで誕生日会をするような余裕がないと思ってあきらめていたのよ。そうしたらお父さんが、『みんなを呼んできてもいいよ』と言うので、ケーキも買えないのにどうするんだろうと思ったけれど、とにかくお友だちを誘ってきたわ。その日、ドキドキしながら学校から帰ってきたら、この大きな寿司桶にちらし寿司がいっぱい作ってあってね。来てくれたお友だちは大喜びしてくれたの。お友だちの間では、その後しばらく私のお誕生日会が有名になったのよ」

豪華な誕生日ケーキを買ったりはできなくても、子どもの心が縮まないようにと工夫を凝らした両親の心が感じられて、ほのぼのとした気持ちになりました。

 そういえば、私も子どもの心を育てる上で大切なことを、父から教わりました。

 長男が生まれて、よちよち歩きを始めた頃のことです。七月七日、七夕の日の朝、父が唐突に「七夕竹を取ってきたか」と聞くのです。

私は何のことか分からなくて、とっさに「はあ?」と生返事を返してしまったのですが、父は「子どもを育てるということは、節目節目を大切にしていくことだ。お金をかけることはないが、心をかけてやることが大事なんだよ。今日は七夕の日といえば、河原に行けば竹の一本も切ってこれよう。そうして飾りをつけて一緒に楽しんでやる。子どもの心はそんな中に育つんだ」と話してくれました。

その後出かけた父は、自転車で七夕竹を引っ張りながら帰ってきました。まだ七夕の意味も分からない幼子を横に置いて、私は短冊を書き、折り紙でたくさん飾りをつけました。夕暮れ時、さやさやと音を立てる笹の葉擦れが何とも心地よく感じた、初めての七夕祭りでした。もちろん、その日のご馳走は・・・。

時が経ち、三人の子どもたちもそれぞれに家庭を持ちました。長男、次男夫婦は現在、子育て真っ最中です。

先日、アメリカに暮らす6歳の孫が、日本語のスピーチコンテストに出場することになり、練習風景をビデオにとって送ってくれました。

「僕は公園で遊ぶのが好きです。日曜日には、お父さんとお母さんと弟と4人で公園に行きます。公園では、ブランコに乗って遊びます。いっぱい遊んだら、おなかが空きます。僕はお母さんの作ってくれたおにぎりを食べます。とってもおいしいです。でも本当は、僕はドーナツが食べたいです」

何んとも微笑ましい作文でした。

後日、嫁から手紙が届きました。「コンテストで運よく賞がとれたので、ご褒美にドーナツ屋さんに4人で行き、それぞれが食べたいドーナツを選び、4等分して全部の味を味わって食べました。子どもたちは大喜びでした」

どうやら私が父から教わったように、お金はかけずに心をかけて、孫たちの心を育ててくれているようですね。

出かけた先で、好きなものを買って食べたほうがずっと簡単なのに、忙しい朝におにぎりを作ってくれている嫁の心遣いが、とてもうれしく感じられました。 さて、いつか孫たちが帰ってくる日には、この半切り桶でちらし寿司を作って迎えてあげようと思います。この桶には、それまでは現役で働いてもらわなければなりません。そう、わが家のちらし寿司レシピを、嫁に伝えるその日まで。


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