「おばあちゃん、きょうはなに探してるの?」と孫にまで言われるほど、最近探し物をすることが多くなりました。
先日も外出先から帰宅して、ホッとしたのもつかの間、「あら、私、腕時計どこに置いたかしら?」と、持って行ったいくつものカバンをひっくり返しましたが、どこにもありません。記憶を辿ると、お邪魔した友人宅で外したところまでははっきり覚えているのですが、そのあとの記憶が全くないのです。友人に電話をして探してもらうようお願いしました。
ところがです。翌朝、いつもの置き場所を見てみると、しっかりと腕時計が置いてあるではありませんか。友人宅で外したところは覚えていたのに、はめたことも、帰ってきていつもの置き場所にしまったことも、まったく無意識だったようで、すっかり忘れていたのですね。びっくりポンです。
年齢の近い友人たちが集まると、忘れっぽくなったとか、いつも探し物をしているというような話題で盛り上がります。携帯やメガネ、鍵などはみんなの探し物トップ3ですが、私はそれらが入っているバッグまで探し回っているのですから、かなりの重症かもしれません。
そうかと思えば、離れて暮らす息子の嫁からこんなメールが入りました。
「お母さん、この前、長女が近くの原っぱで、四つ葉のクローバーを5分間で4つも見つけたんですよ。どうするのかしらと見ていたら、二人の弟に一つずつあげていました。優しい気持ちが嬉しかったです」。
まあ、すごい。四つ葉のクローバーを見つけるのは大変でしょうが、おばあちゃんの探し物とは違い、心穏やかに、可愛い兄弟に自分の幸せのお裾分けをしている姿は愛おしく感じられました。
さて、我が家には、親やその周りの人からの虐待などを理由に保護され、親と共に暮らすことのできなくなった里子たちがいます。外見だけを見れば、同じ年の子どもたちと何ら変わりはありませんが、その心の内では、いつも見つからない探し物をしているようだと思う時があります。
もう10年以上も前にお預かりした女の子の話です。我が家にやって来る時の里子たちは、ほとんどが着の身着のままのようなもので、この子も紙袋を一つだけ提げてやってきました。
色々な方の協力を頂いて、学校の勉強に必要なものも全て揃えたつもりでしたが、どうしたことか社会の副読本がもれ落ちていたのです。私が気付いた時には、すでに我が家に来て四か月近くが経っていました。
「今まで社会の授業の時にはどうしてたの?」と聞くと、「いつも『忘れた』と言って、隣の子に見せてもらってた」との返事。副読本のため、授業でも使う頻度が少なくて、先生も気がつかなかったのでしょう。「教えてくれたら、もっと早く準備してあげられたのよ」との私の言葉に、彼女は無言を通しました。
その夜、彼女の寝顔を見ながら考えました。彼女は、母親を悪者にしたくなかったのではないかと。
「お母さんは、こんな大事なものまで捨ててしまったのか、なんて、お母さんのことを悪く言われたくない。私が大好きなお母さんを守るんだ」
そんな思いで、この子は口を閉ざしていたのかもしれないと思うと、何といじらしいことかと目頭が熱くなりました。家にいた頃は、お母さんからも辛い仕打ちを受け、悲しい思い出しかないはずなのに、子どもにとってお母さんがどれほど大きな存在かを改めて知りました。
小さな子どもだけではありません。中学三年生の時に、学校で保護されて、そのまま我が家で生活することになった女の子は、突然母親と引き離された現実がいつまでも受け止められず、ぽっかりと空いた心の穴を埋めようと必死にもがいていました。
いくつになってもこの世に母親の代わりはないのですね。我が家から卒業した今も、彼女は何か探し物をしているのでは、と気に掛かります。
教会で生活していると、様々な悩み事を抱えた人々との出会いがあります。大きな問題を解決したいと熱心に参拝していても、事態が良い方向に向かうと、すっかり安心して足が遠のく人もいれば、重い病が一向に良くならなくても、神様に生かされていることに感謝し、自分のことはさて置いて、人のたすかりのために祈りを捧げる人もいます。
若い頃から、真面目すぎる故か、あちこちぶつかりながら人生を生きにくく過ごしてこられた女性が、天理で三か月間教えを学ぶ修養科を終えて、こんな感想を漏らしていました。
「今までどうしてこんなに辛かったんだろう。多くの人が私を心配して、支えてくださっていたから、今日まで歩いて来られたんですよね。それに気づくことができて、何だか今まで探していた物が見つかったような気分です・・・そうだ、探し物は、神様だったのかなあ?」
最後のつぶやきを聞いた時、天理で素敵な生き方を見つけられたんだなあと、こちらも嬉しくなりました。
もしかしたら、探し物のない人生なんてちっとも楽しくないかも知れませんね。悩みがあっても、神様の教えを頼りに毎日をコツコツと生きていれば、ある時パッと目の前の視界が開けて、今まで見えていなかった探し物に出会える。そんな日がきっと来ると信じて、生きていきたいと思います。
孫に「今日は何の探し物?」なんて聞かれないように、一瞬々々を意識を持って丁寧に過ごしていれば、無くしたことに気付かずにいたものまで、見つけることが出来るかもしれません。何だかワクワクしてきました。
さあ、あなたの探しものは、何ですか?